戦慄!!長岡京わらび摂り殺人事件!!

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みなさん知っていますか。今を去ること40年以上前の1979年5月。京都の長岡京市というのどかな街で2人の主婦が惨殺されるという痛ましい事件があったことを。結局、犯人は捕まらなかったばかりか、この事件はさらなる悲劇を産んだのです( ˘•ω•˘ )。

長岡京には素敵な美術館があって、僕もよく行くのです

事件の経緯

主婦の明石英子さん(当時43歳)と水野恵子さん(同32歳)とA子さん(仮名)はスーパーマーケット「イズミヤ」で働くパート仲間。1979年5月23日、3人は朝早くからのパートを終えたあと、自転車で近くの山に、ワラビ採りに出かけたのでした。この日は天気も良く、気温も28度とワラビ採りには最適な日だったそうです。この後に訪れる悲劇など知る由もありませんでした。

スーパーから2kmちょっと離れた里山(通称「野山」)に午前11時頃に到着。このとき、入山する2人(及びA子さん)の姿を、近くの工事現場の警備員や、登山道入り口近くの竹林で作業をしていた夫婦が目撃していました。その目撃情報を最後に2人は帰らぬ人となってしまったのです。
なお、A子さんは午後から用事があったため、入山してすぐに帰ったので、奇跡的に難を逃れます(しかし、これが後にさらなる悲劇を産むことになるとは、この時点では誰も知りませんでした。)。

必死の捜索も帰らぬ姿で発見!!

水野さんはワラビ採りのあと、午後3時半頃に子供を保育所に迎えに行くことになっていましたが、予定の時間を過ぎても現れませんでした。
心配した水野さんの夫が野山に探しに行ったけど、見つかりませんでした。翌24日には明石さんの夫も捜索に加わったが、やはり2人の行方は杳としてわかりませんでした。
夫たちは午後2時50分頃、向日町署に捜索願を出します。

向日町署は、30人体制で直ちに捜索を開始。捜索の結果わかったことは、「2人は寂照院前の畑に自転車を停めた」、「入山時の目撃者がいる」ということでした。寂照院近くの宅地造成工事現場の警備員らが、23日の午前11時頃に、2人が入山していくのを目撃していました。その日は、夜まで捜索は続けられましたが、依然として2人は発見できなかったのです。

翌25日はさらに人員を増やして、向日町署員、2人の家族や同僚、地元消防団など、120人体制で午前9時より捜索を開始しました。警察犬3頭も捜索に参加したのです。

午前10時30分頃、野山の山頂付近の雑木林にて、獣道が行き止まる地点で警察犬が反応。明石さんの遺体は、そのそばの急斜面で発見されました。その場所から斜面を約10mほど登ったところで、水野さんの遺体もみつかりました。

無惨すぎる殺され方だった!!

明石さんは全身約30箇所の皮下出血、手拳や蹴り上げられたような跡がありました。 左右計9本の肋骨が折れ、肝臓が破裂していました。 シャツに乱れはあったものの、 きちんとジーパンをはいていましたが、体内からは犯人のものと思われるO型の体液が検出されました。
水野さんも約50箇所の皮下出血、手拳や蹴り上げられたような跡がありました。 0型の血液型と特定された体毛が付着していました。 胸を刺傷した事による失血死。 胸には肋骨を切断して、心臓から肺にまで達する包丁が突き刺さったままでした。
なお、明石さん、水野さんともにアキレス腱も切断されていました。捜査員たちはあまりに惨い殺され方に絶句しました。

ダイイング・メッセージが残されていた!!

明石さんはダイイング・メッセージを残していました

遺体の状態から警察は殺人事件と断定、捜査が開始されました。直接の死因は明石さんが絞殺、水野さんは刺殺です。検死の結果、死亡時刻はどちらも正午過ぎから午後2時半頃までと判明。
2人のリュックには、空の弁当箱、採ったワラビ、財布が入ったままでしたが、金を奪われた形跡はありませんでした。胃の内容物から、食後1時間以内に殺害されたことが判明。2人はワラビを採ったあと弁当を食べ、その後すぐに襲われたと推測されます。 

さらに、明石さんの衣服のポケットからは「オワレている たすけて下さい この男の人わるい人」
と書かれたメモがみつかりました。

メモは鉛筆であわてて書いたような走り書きで、勤務先のスーパーのレシートに書かれていました。荷物から鉛筆は見つかりませんでしたが、殺害現場から少し離れたところで芯の先端だけが見つかっています。

異例の捜査体制を敷くも犯人は見つからず

府警捜査本部(向日町署)は長岡事件に捜査員延べ約25000人を投入。捜査員の調べにより、犯人は短靴を履いた力の強い男などとわかりました。
犯行当日は山菜取りシーズンだったので、15、6人が野山に入山しており車両も5、6台駐車していました。
また、宅地造成地があり、大阪府豊中市から40数名の作業員が工事に携わっていました。

捜査で浮かび上がった不審者たち

懸命の捜査で事件前後の不審者が幾つか浮かび上がってきたのでした。

  • 【容疑者A】長岡京市内に住む不良グループのKとM(建築手伝い)。 殺害時間直後に野山から急ぎ足で下山してきたという 目撃情報があり重要参考人となった。 Kには空手の心得もありサイクリング車で たびたび野山への道を走っていた。
  • 【容疑者B】主婦2人が野山を上っていった10分後に入山した 25歳から30歳くらいの白いシャツ、ジーパンのようなズボンの二人連れ。 身元判明せず。
  • 【容疑者C】事件の前年同時期にワラビ採りをしていた主婦に声をかけた、40~45歳くらい、 身長170cmのねずみ色の作業着を着た男。 長さ30cmくらいの包丁を持ち、「奥さん、ワラビ採れますか」と声をかけた。
  • 【容疑者D】事件の数年前から横行していたタケノコ泥棒。 タケノコを掘り返すのではなく、地上に出た部分を包丁で切り取り持ち帰るというもの。 事件発生後1年間で被害がぷっつり消えた。 (警察が出入りしているんだから当たり前ですが・・。)
  • 【容疑者E】現場付近に残されていた足跡の中で、登山靴やレジャーシューズのような 溝のある靴跡ではなく、二つだけ革靴の可能性が高い溝も模様もない足跡があった。 6日前にワラビ採りをしていた主婦に声をかけた挙動不審な中年男 (似顔絵が作成され、一般公開された)がいた。 スポーツシャツで軽装。サラリーマンタイプの男。
しかし、懸命な捜査とこうした有力な情報にもかからわず、犯人の検挙には至らなかったのです( ˘•ω•˘ )。

ええ!ええ!僕には見えてきましたよ、ええ!そうですとも(`・ω・´)!。

さらなる悲劇!!A子さんも惨殺される!!

A子さんはワラビ採りに同行していましたが、午後から用事があり、ひとりだけ早めに帰ったために被害を免れました。
しかし、惨殺事件から5年後の1984年5月15日、さらなる凄惨な事件が起きたのです。

唯一生き残ったA子さんが、自宅で首や背中をメッタ刺しにされたうえ、布団に包まれた状態で火をつけられ殺害されてしまったのです。

犯人は一体だれなのか

懸命な捜査にもかからわず、犯人は見つからず時効を迎えてしまいました( ˘•ω•˘ )。
一体、これほどの残虐な殺し方をした犯人は誰なのでしょうか。今も真相は闇のままなのです。

僕には犯人像が見えてきました


しかし、間違いなく前述した容疑者A~Eの中に犯人はいるのです( `ー´)ノ。
名探偵コナン並の推理力がある僕はこう考えています(`・ω・´)!。

犯人は20代~50代の男で空手などの有段者。暴力団などの反社会組織に加わっている可能性が高く、殺しのプロである!!

2人の遺体には、80ヶ所もの殴る蹴るの跡があったといいます。恐ろしく執拗な攻撃がなされたのです。強姦が目的なら必要ない行為です。そして、現場に残した包丁には指紋が残っていなかったのです。ただの狂人でも行きずりの犯行でもありません。明確な殺意をもって殺されたのです。
さらに、唯一生き残ったA子さんも5年後に惨殺されてしまっています。この事件もまた、白昼堂々と大胆な犯行ですが、指紋などの証拠が残っておらず犯人は見つからなかったのです。

これらのことから、僕は犯人は明確な3人への殺意があったこと、また、これは初犯ではなく殺しのプロであると推理します(`・ω・´)!。

惜しむらくは、犯人の体液。現代であれば体液からDNAを特定することが可能なので、この体液を保存しておけば、犯人を捕まえられた可能性が高いのです。しかし、当時は高度成長期の真っ盛りである1979年。まだ、DNA鑑定という捜査手法などなく、この貴重な証拠は消えてしまったのです( ˘•ω•˘ )。

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